2023年09月16日 03:31
■超拡散2024年へ向けて『1993年毎日新聞『郷土提言賞』北海道ブロック賞受賞作品「小樽21世紀改革プラン」プラス新提言』
◆この論文は、郷土から離れて20年以上経った者がノスタルジーだけでなく、
それまで得た知識などを活かして故郷の活性化を願って纏めたものです。
実際、執筆当時から一段と人口が減った現実を帰省する度に目にするにつけ、
故郷消滅の危機的状況を救うギリギリのところが現在と認識して、
30年前の提言にプラスする形で論述します。
尚、新たな提言を小樽以外でも斜陽に悩んでいる地域で利用できるのであれば
多いに使っていただければ幸いです。
2023年9月14日
水間政憲ジャーナリスト・近現代史研究家
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
■『1993年毎日新聞『郷土提言賞』北海道ブロック賞受賞作品「小樽21世紀(小樽)改革プラン」
●小樽を離れて、二十年を過ぎ時折帰省するのであるが、
東京にて想いをめぐらす小樽より、地元に戻ると、
なぜか小樽が遠い存在にかられるのは、どうしてであろうかと自問する。
同じ想いを味わう同郷人も多いのではあるまいか。
小樽は近年、観光客数が四百万人を越すに至ったのであるが、
東京にて見ているメディアに取り上げられる小樽の実態と、
イメージの乖離を強く感じるのである。
小樽は観光都市としての自覚があまりなく、
街全体の公益より地域や個々の利益を優先するあまり、セクショナリズムに陥り、
街の活力が衰退し、結果として守るべき地域と個人の利益を、
弱小化に至らしむ悪循環に対して個々人が行動する時なのではあるまいか。
そこで、小樽出身者で東京に居を構え、
定期的に帰省して小樽を長く見続けて来た者として、微力であるが、
小樽の閉塞状況を改革する役に立てばとの想いで、改革プランを提案する。
現在の観光資源の運河、ガラス工芸、石原裕次郎記念館、オルゴールなどは、
メディアによる宣伝効果によるものであり、
決して街造りを戦略的に計画を立てて推し進めた結果ではないのであり、
これからは、そのメディアと地元の計画を融合させて、
力強く小樽再興を成し遂げていただきたいのである。
ファッション化されたイメージから、奥行きのある強力なハード部門の裏付けが、
観光都市として装置産業には必要不可欠であり、
それには、将来的にも対応できる肉付けが必要である。
私は、昭和五十八年小樽であるシンポジウムの会場で、
当時計画中の現運河道路の下に大駐車場を建設する事を提案したのであるが、
当時の小樽の人々には、切実に必要と賛同していただくことが出来ませんでした。
装置産業としての観光都市のインフラの基本は、
ホテルと駐車場である事は現在も同じである。
これから順に提案する事は、すべて民間と自治体が一丸となって、
協力して初めて成就なし得るのである。
港と運河については、現在あまり知られていないが、
一八七六年七月三十一日、クラーク博士は、札幌農学校赴任の為、
玄武丸で黒田清隆長官とともに小樽港に上陸したのである。
その時、出迎えたのは、農学校の校長になる調所広丈、ウィリアム・コーウィンだった。
クラーク博士は、初めて和風旅館にて体をやすめて、
五人は馬で札幌へ向かったのである。
これらの事実を観光資源として、クラーク像と宿泊した和風旅館を再現して、
港にある遊休地に配置してはどうだろうか。
運河は現在、道路によって狭められなかった手宮地区に、
観光客が流れている現状を勘案して、
旧鉄道記念館跡地の総合開発が予定されて居る所まで、
手宮側の運河を三百メートル程、運河を延長する事で
観光客が期待する運河のイメージと合致するであろう。
運河の両側には、歴史的建物をアレンジしたホテル郡などを造り、
マイカル小樽と差別化した、長期滞在型のリゾート地として開発可能である。
夏期リゾートに必要なテニスコートは、
手宮総合グランドを調整して整備すれば二十面~三十面は用意出来るであろう。
交通アクセスとして、東京発『北斗星』の一本位は、
手宮線終着駅として誘致するべきである。
それら一連の事業は、小樽市、JR北海道、大手旅行代理店及び
地元企業などの共同事業体として進める必要がある。
以下次回に続く
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
上記改革プランは、30年前のものであるが、この毎日新聞の北海道ブロック賞は
関係自治体並びに関係機関に毎日新聞から提供されることになっていたのである。
その結果、JR北海道は寝台特急『北斗星』一本を小樽駅終着にしておりました。
2023年9月16日
水間政憲ジャーナリスト近現代史研究家
第2弾記事
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-3619.html
◆この論文は、郷土から離れて20年以上経った者がノスタルジーだけでなく、
それまで得た知識などを活かして故郷の活性化を願って纏めたものです。
実際、執筆当時から一段と人口が減った現実を帰省する度に目にするにつけ、
故郷消滅の危機的状況を救うギリギリのところが現在と認識して、
30年前の提言にプラスする形で論述します。
尚、新たな提言を小樽以外でも斜陽に悩んでいる地域で利用できるのであれば
多いに使っていただければ幸いです。
2023年9月14日
水間政憲ジャーナリスト・近現代史研究家
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
■『1993年毎日新聞『郷土提言賞』北海道ブロック賞受賞作品「小樽21世紀(小樽)改革プラン」
●小樽を離れて、二十年を過ぎ時折帰省するのであるが、
東京にて想いをめぐらす小樽より、地元に戻ると、
なぜか小樽が遠い存在にかられるのは、どうしてであろうかと自問する。
同じ想いを味わう同郷人も多いのではあるまいか。
小樽は近年、観光客数が四百万人を越すに至ったのであるが、
東京にて見ているメディアに取り上げられる小樽の実態と、
イメージの乖離を強く感じるのである。
小樽は観光都市としての自覚があまりなく、
街全体の公益より地域や個々の利益を優先するあまり、セクショナリズムに陥り、
街の活力が衰退し、結果として守るべき地域と個人の利益を、
弱小化に至らしむ悪循環に対して個々人が行動する時なのではあるまいか。
そこで、小樽出身者で東京に居を構え、
定期的に帰省して小樽を長く見続けて来た者として、微力であるが、
小樽の閉塞状況を改革する役に立てばとの想いで、改革プランを提案する。
現在の観光資源の運河、ガラス工芸、石原裕次郎記念館、オルゴールなどは、
メディアによる宣伝効果によるものであり、
決して街造りを戦略的に計画を立てて推し進めた結果ではないのであり、
これからは、そのメディアと地元の計画を融合させて、
力強く小樽再興を成し遂げていただきたいのである。
ファッション化されたイメージから、奥行きのある強力なハード部門の裏付けが、
観光都市として装置産業には必要不可欠であり、
それには、将来的にも対応できる肉付けが必要である。
私は、昭和五十八年小樽であるシンポジウムの会場で、
当時計画中の現運河道路の下に大駐車場を建設する事を提案したのであるが、
当時の小樽の人々には、切実に必要と賛同していただくことが出来ませんでした。
装置産業としての観光都市のインフラの基本は、
ホテルと駐車場である事は現在も同じである。
これから順に提案する事は、すべて民間と自治体が一丸となって、
協力して初めて成就なし得るのである。
港と運河については、現在あまり知られていないが、
一八七六年七月三十一日、クラーク博士は、札幌農学校赴任の為、
玄武丸で黒田清隆長官とともに小樽港に上陸したのである。
その時、出迎えたのは、農学校の校長になる調所広丈、ウィリアム・コーウィンだった。
クラーク博士は、初めて和風旅館にて体をやすめて、
五人は馬で札幌へ向かったのである。
これらの事実を観光資源として、クラーク像と宿泊した和風旅館を再現して、
港にある遊休地に配置してはどうだろうか。
運河は現在、道路によって狭められなかった手宮地区に、
観光客が流れている現状を勘案して、
旧鉄道記念館跡地の総合開発が予定されて居る所まで、
手宮側の運河を三百メートル程、運河を延長する事で
観光客が期待する運河のイメージと合致するであろう。
運河の両側には、歴史的建物をアレンジしたホテル郡などを造り、
マイカル小樽と差別化した、長期滞在型のリゾート地として開発可能である。
夏期リゾートに必要なテニスコートは、
手宮総合グランドを調整して整備すれば二十面~三十面は用意出来るであろう。
交通アクセスとして、東京発『北斗星』の一本位は、
手宮線終着駅として誘致するべきである。
それら一連の事業は、小樽市、JR北海道、大手旅行代理店及び
地元企業などの共同事業体として進める必要がある。
以下次回に続く
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上記改革プランは、30年前のものであるが、この毎日新聞の北海道ブロック賞は
関係自治体並びに関係機関に毎日新聞から提供されることになっていたのである。
その結果、JR北海道は寝台特急『北斗星』一本を小樽駅終着にしておりました。
2023年9月16日
水間政憲ジャーナリスト近現代史研究家
第2弾記事
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-3619.html