【Ⅰ】超拡散;中山恭子先生は、「知性力」と「行政力」を併せ持ったコンダクターで、日本列島に咲く「宝華」です。

2011年09月28日 00:44

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※写真は道端に咲く一輪の秋の花です。


【Ⅰ】超拡散;中山恭子先生は、「知性力」と「行政力」を併せ持ったコンダクターで、日本列島に咲く「宝華」です。


昨日、中山恭子先生の『国想い夢紡ぎ』(万葉舎)出版記念パーティーに参加させていただきました。




その会場のホテルニューオータニの「鳳凰の間」は、各界様々な方々で溢れかえっておりました。その宴会場のあるセクションは、35年前、小生が「造形作家」として、商業ベースにのらない作品を気ままに制作するため、資金を得るためのバイトをしていたところで、感慨無量になりました。


祝辞を述べられた遠山敦子元文部大臣(現トヨタ財団理事長)が、東大時代、サークルに女性新入生6名が入って来られたときの一人が恭子先生で、そのときの印象を、「か弱そうで可憐な中に心の強そうな…」と、表現されておりましたが、その後の行政官としてのキャリアの蓄積は、余人には代え難い「知性力」と「行政力」を併せ持った「国の宝華」に結実したことを、「同書」を拝読して改めて確信した次第です。


遠山敦子氏は、国立西洋美術館々長に初の女性館長として就任した方で、前任の館長の高階秀爾氏も同出版記念パーティーの発起人をなさっており、恭子先生の人脈には我が国を代表する美術に造詣の深い方々が集っておられることも新鮮な驚きでした。


1970年代に高階氏が、東大教授で美術史家として、ブリヂストン美術館日曜講習会の講師を務められていたとき、全講義 を聴講しましたが、ルーブル美術館に研修で留学したときの経験を「ルーブルの所蔵作品がどの場所のどの棚にあるかを把握していた」と、聴いて驚いたことを想い出しました。

美術作家は、美術評論家を心のどこかで軽蔑しているものですが、当時、高階氏は美術史家兼評論家として日本の第一任者と尊敬されていた方でした。

帰宅して一気に拝読しましたが、第1章の「教育」の項に「敗戦後、北海道小樽市に拠点を置いて、勢力を持ったのが日本教職員組合です。終戦直後から、ソ連のコミンテルンの指示を受けて勢力を拡大しました。…」とあり、身の引き締まる思いで読み始めました。


それは、現在に至る日本解体の源流が、小樽市にあったことをさらっと記載されていたからです。


小生の祖先は、明治時代に現在の小樽に入植し、偶々でしょうが、小林多喜二の一家が秋田から来樽したとき、小林家に借家の仲介をしたのが小生の親戚でした。


現在でも、小樽教職員組合の者が居酒屋で、「日教組を作ったのか北海道教組で、北海道教組を作ったのが小樽教組だから日教組が潰れても最後まで闘う」と、日常的に語られている街なのです。また、自虐洗脳教育の原点でもある「プリント学習」を、最初に導入した街も小樽市だったのです。


そのような街に生まれ育ったいきさつ上、微力ながら保守言論に関わるようになったときから、ある意味、日教組をなんとかしなくてはと責任を感じておりました。

2010年6月21日、その小樽市で中山成彬先生と中山恭子先生に講演をして戴いたのですが、これは歴史の必然として語られることになると思っております。


以下、《【Ⅱ】超拡散;中山恭子先生は、「知性力」と「行政力」を併せ持ったコンダクターで、日本列島に咲く「宝華」です。》へ続く。

●拙ブログ記事を参考まで!《小樽龍宮神社で「日本鎮護」を祈願した麻生太郎元首相と中山成彬・恭子ご夫妻。龍宮神社は日本復興の聖地です!》http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/?mode=m&no=358&cr=b4c25a2cc273801e6f752538a0976932




※ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー
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