●《虚空を見つめる長崎原爆少女》

2017年11月21日 21:03

●《虚空を見つめる長崎原爆少女》


■最近、「みつばち」さんから様々な情報をいただき感謝致します。

また、「ひと目でわかるシリーズ」を全巻お持ちの方からの情報に、
ビックリするものもあります。

『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』を、
お手元にあるかたは是非確認していただきたい情報です。

これも報道写真という一次資料を直接掲載したことで出来ると思うと、感慨無量です。

『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』の
原爆写真館に掲載した最後の写真は、
長崎の原爆被災者が「虚空」を見つめているものですが、
私は、この世にある「無常」を超越した衝撃的な写真として掲載しました。
その少女が、2009年8月4日付・長崎新聞「亡骸と立つ少女は私…」と、
福岡県大川市の女性が名乗り出たとのことです。

情報にしたがい
「長崎新聞 龍智江子」で検索すると長崎新聞のホームページに
《【「母が身代わりに…」亡きがらのそば感情なく】
余燼(よじん)がくすぶる焦土に、ぼうぜんと立ち尽くした。
人の原形をとどめぬ死体が、あちこちに転がっていた。
龍智江子(79)は草履の下がひどく熱かったのを覚えている。
日本軍報道班員として長崎に入った山端庸介(故人)が、
原爆投下の翌日、爆心地から300メートルも離れていない浜口町で
撮影した一枚の写真がある。
自宅跡にたたずむ少女は、当時15歳の龍だ。
傍らに母親の亡きがらが横たわっている。
そのころ、長崎でも空襲が続いていた。
あの日の朝、両親は疎開先を探しに出掛けようとしていた。
病弱で目も悪い母親を龍は引き留めた。
「空襲警報が鳴っても逃げ切らんよ。私が行くけん」。
龍が父親と家を出て間もなく、原爆が自宅上空でさく裂した。

命からがら山中に逃げ込んだ龍と父親が
浜口町に帰ることができたのは、翌日だった。
廃虚の町に男女の区別さえ付かない死体。
頭の骨に溶けてくっついたべっ甲の髪止めで、それが母親だと分かった。
報国隊として動員されていた川南造船所からの手当で、
龍がプレゼントしたものだった。

「母を見ても何とも思わなかった。悲しみとか哀れみとか。
そんな気持ちの余裕なんてなかった」。
極度の衝撃は感情を虚無にさせることを知った。
あの日の朝まで一緒だった9歳の弟の骨は今も見つからない。
被爆した父親は翌年、全身に黄疸(おうだん)を訴えて帰らぬ人となり、
龍は独りぼっちになった。
山端庸介が撮影した写真を手に語る龍=福岡県大川市の自宅》との記事が
アップロードされていました。

私は、傍らの亡骸は子供と思っていましたが、少女の母親だったとは衝撃的です。
そして、極度の哀しみは「虚空」をさ迷っていたことがわかりました。

あの一枚の写真から受けるなんともいえぬ哀しみは、
「悟りの世界」のようにも思え、原爆写真館の最終ページに掲載しました。

あらためて、一次資料の強烈な力に驚いております。

合掌









◆【近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲】


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