2014年09月15日 23:56
●《山口淑子さんのご冥福をお祈り致します》
■山口淑子さんの想い出は強烈に焼きついています。
山口淑子さんが参議院選挙に出馬する前の1973年秋、赤坂の自宅を訪ねたときに、応接室に展示してあった絵のモデルが山口淑子さんのようでしたので、「梅原先生のモデルは山口さんですか」と、お聞きしたところ、山口さんが「梅原先生から熱心にモデルにとお願いされたのよぉ~」と応えられ、もう一枚展示してあった少し暗い抽象画を観ていると「誰かわかります」とおっしゃったので「最近の作品とは色彩がかなり違いますが、今井俊満かな!!」と応えると、山口さんが驚いて「わぁー凄い、いままでいろいろ有名な美術関係者がこの絵を観ても誰一人当てたことがなかったのよ、私たちは『トシマン』ってよんでるの!」とおっしゃり、「実はこれからここに来客が増えるので、このカタログ(銀座松屋)からカーテンや絨毯など貴方にすべておまかせするので選んでくださいょ」とお願いされ、スウェーデン製のシャギーの絨毯や赤紫やブルーのシルクのクッションなど、選んだことが蘇りました。後でわかったことですが、山口淑子さんは世界的な彫刻家イサム・ノグチと結婚していたこ
とで、イタリア在住の今井俊満とも交流があったのです。
すべての内装が整ったあと、招待されてお伺いしたとき、ステレオから蘇州夜曲が流れ、山口さんは懐かしそうに聴きいっていたのが印象的でした。
山口さんからは、様々なお話をお聞きした中で、戦時下に赤坂の北大路魯山人邸に住んでいた頃、世の中は“もんぺ”をはく風潮になってもはくことはなかった」などと、戦時下の様子を教えていただいたことも蘇りました。
山口淑子さんは、東アジアの近代史の中を駆け抜けた歴史の証言者でした。
ご冥福をお祈り致します。
※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文掲載〉http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/
■山口淑子さんの想い出は強烈に焼きついています。
山口淑子さんが参議院選挙に出馬する前の1973年秋、赤坂の自宅を訪ねたときに、応接室に展示してあった絵のモデルが山口淑子さんのようでしたので、「梅原先生のモデルは山口さんですか」と、お聞きしたところ、山口さんが「梅原先生から熱心にモデルにとお願いされたのよぉ~」と応えられ、もう一枚展示してあった少し暗い抽象画を観ていると「誰かわかります」とおっしゃったので「最近の作品とは色彩がかなり違いますが、今井俊満かな!!」と応えると、山口さんが驚いて「わぁー凄い、いままでいろいろ有名な美術関係者がこの絵を観ても誰一人当てたことがなかったのよ、私たちは『トシマン』ってよんでるの!」とおっしゃり、「実はこれからここに来客が増えるので、このカタログ(銀座松屋)からカーテンや絨毯など貴方にすべておまかせするので選んでくださいょ」とお願いされ、スウェーデン製のシャギーの絨毯や赤紫やブルーのシルクのクッションなど、選んだことが蘇りました。後でわかったことですが、山口淑子さんは世界的な彫刻家イサム・ノグチと結婚していたこ
とで、イタリア在住の今井俊満とも交流があったのです。
すべての内装が整ったあと、招待されてお伺いしたとき、ステレオから蘇州夜曲が流れ、山口さんは懐かしそうに聴きいっていたのが印象的でした。
山口さんからは、様々なお話をお聞きした中で、戦時下に赤坂の北大路魯山人邸に住んでいた頃、世の中は“もんぺ”をはく風潮になってもはくことはなかった」などと、戦時下の様子を教えていただいたことも蘇りました。
山口淑子さんは、東アジアの近代史の中を駆け抜けた歴史の証言者でした。
ご冥福をお祈り致します。
※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文掲載〉http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/