2011年10月30日 09:12


●《江戸は究極の循環都市だった》
■宮崎未来塾の打ち上げの席で、江戸時代が話題になりました。江戸時代は暗黒だったと教わったことなどなど。その時、解説できなかった事をまとめてみました。
江戸時代の寛政十二年(1800年)の江戸の人口は、百二十万人で世界一の大都市でした。そして第二位は、ロンドンの九十万人で三位がパリの六十万人でした。
江戸の水道設備は、神田川・玉川・井の頭池などから地下に張り巡らされていた「木管」(150㎞)を通して、大江戸八百八町の六十%をカバーしていました。時代劇で見かける長屋の井戸は、「木管」に開けた穴から汲み上げるものだったのです。また、使用されず川に落ちる水は船で受け取り、水不足の所に運んでいました。当時、世界で一年中水を使える街は江戸だけだったのです。
そして排泄物は、街を汚すことなく、肥料として取引され藁に混ぜて堆肥をつくり、育てた農作物は江戸で食されるリサイクルが二百数十年行われていました。当時、ロンドンやパリの排泄物は、道路に投げ捨てられ下水から川にたれ流しになっていたのです。
また、洗濯や炊事に使った水は、拭き掃除や畑・植木・打ち水に利用されていました。
当時、江戸を訪れた外国人は、「街並や江戸の人たちの清潔感」を絶賛して、多くの記録を残しています。
江戸は、太陽エネルギーを植物に蓄え、食糧・炭・菜種油(照明)・綿・木綿・絹・和紙などをつくり、最後に土に戻る究極の循環都市だったのです。
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※ジャーナリスト水間政憲
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