2011年08月31日 11:36


●これからどうなる永田町!
■「私じゃ支持率が上がらない。だから解散はしません」この野田の一言が、首相の座を射止める決定打になりました。
野田、本人は「どじょう」にたとえた「泥臭いささやき」は、永田町に出回った怪文書「前原が代表になると、追い詰められて直ぐ解散になる」で、内心冷やひやしていた「次回衆議院選挙落選組」にとって、安心感を与え「天使の甘いささやき」に聴こえたことであろう。野田の「鈍くさいささやき」が、怪文書と一対の「ささやき」であったのであれば、なかなかの「策士」です。
民主党「ど素人国賊集団」の投票行動を左右したキーワードは、野田が発した「解散はしない」だったことになる。
また、民主党内の保守グループにたいしても、安心感を与える「ささやき」を計算して発していた。野田は、「父親は、富山の農家の六人兄弟の末っ子で、母親は千葉の農家の十一人兄弟の末っ子、自分は両親の長男として生まれた」と、土着の日本人であることをやんわり強調していたからです。
父親に関しては、馬渕議員も「父親は陸軍士官学校出身で、子ども頃、世が世なら『尉官』だったと聞かされ育った」とか「政治家を目指したのは田中角栄に憧れて…」には、笑えました。
それらの発言は、父親に関して一切触れなかった前原と海江田万里と対称的だった。中国の「万里の長城」が好きだった父親が、名前を「万里」と名付けたと言われている海江田は、中国語をマスターする程、中国大好きなようで、なりすましのような闇もあり、まだ「どじょう男」の方が、いくらかまし程度の代表戦だった。
※ジャーナリスト水間政憲
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